2011年02月28日
退職のお祝い
小学校6年生の担任をしてくださった恩師の
近藤ひろ子先生が今年の3月に定年を迎えられる。
現在は、常滑市の鬼崎小学校で教頭先生をやっておられます。
小学校時代、落ち着きがなかった私は
何にでも興味を示し、今でいう多動症候群のような少年だった。
学校へ登校すると学校の裏山が雑木林になっていて、
始業の前に山に入ると、授業はそっちのけで虫取りにはまり、
お昼頃まで虫取りに熱中していた。
雪が降ってグランドに積もると、
みんなで雪合戦や雪だるまを作ったりするのだが、
当時の私は喘息やらアトピーやらで体が弱く、
一年中、半袖・半ズボンで過ごして体を鍛えているような子供だったから、当然手袋なんてものは無く、素手のまま遊びに参加していた。
素手で雪を長時間触っていれば、かじかんで冷たくなるのは当たり前なんだけれども、当時の私は遊びに参加したいが為に、素手で雪を触っていた。
当然、冷たくなり、冷たい手にどうすることも出来ずにただ泣いたりしていた。
校庭の池に氷が張れば、氷の上を歩いて、どんくさいことに落ちて授業が始まる前から、べたべたになったり。
学校からの帰り道では、
当時は田園地帯や山だった小学校付近の田んぼで泳いで泥だらけになって帰ったり、時には遊びに夢中になっていた私が、帰宅途中に無くしたランドセルの方が私よりも早く家に届いていたり。
木に登ってアケビをとって、友人と食べてみたり。
当時、本当にさまざまな生き物が身近にたくさんいた。
今思い起こすと、吹き出しそうになるのだけれども、
モグラを捕まえて飼ったり、
コウモリを捕まえて飼ってみたものの、夜中にうるさくてどうしようもなくなってしまったり、
道で拾ったネズミの子供の死骸を、家に持って帰って、ティッシュをちぎって一杯に敷き詰めた箱の中に入れて、学校に行くときはポケットに入れて持って行き、帰宅したらまた箱の中に戻して、を4日間くらい続けていた。
当時の私は、このネズミが生き返ると本当に信じていた。
4年生の時に担任して頂いた先生は、
あまりにも落ち着きの無い私に特等席を用意してくれた。
先生の教卓の横。
黒板の真ん前が私の定席だった。
教卓の反対側にも定席だった生徒がいた。
2年前、亡くした友人だ。
他にも例を挙げたらキリがないのだが、
とにかく何ていうのだろう、一言で言えば
落ち着きの無い子。
そんな私が、近藤先生に担任を受けてもらい、
「のり君は、感受性がとても豊かな子」
として再定義?してもらい、良い方向へと導いてくれました。
人生を変える先生との出会いは、
そんなに多いものでは無いと思いますが、
私はそんな先生に出会うことが出来ました。
近藤先生は、なんにでも一生懸命に取り組んでこられました。
今でもお会いするとあの時の輝きを放っています。
近藤先生に会えて本当に良かったと心から感謝しています。
先日、先生の退職のお祝いに
マリオットのミクニナゴヤに行ってきました。

先生、38年間お疲れ様でした。
今後は国際舞台に活動を広げていかれるそうです。
先生の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
投稿者 中村 憲広 : 08:13
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