2009年07月07日

翻訳家 戸田奈津子先生

7月4日土曜日。
 
 
翻訳家 戸田奈津子先生のご講演を聴きました。
 
 
 
大がつくほどの映画好きの私にとって、
このご講演を聴くのはとても楽しみでした!
 
 
 
 
 
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当日は朝一から、
 
母校の同窓会役員で集合し18日同窓会総会の打ち合わせ~~
 
外国語学部と国際経営学部合同の異業種名刺交換会~~
 
同窓会スカラーシップ応募者の面談~~
 
戸田先生のご講演(外国語学部主催)といった流れでした。
 
 
 
 
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ご講演を通してたくさんの気付きを得ることが出来ました。
 
 
 
 
 
 
・忍耐強く取り組むこと。
 
・決してあきらめないこと。
 
・プロとして誰にも負けない分野を持つ。
 
・いくつになっても、誰からでも学べること、学ぶこと。
 
 
 
 
 
 
 
先生は、子供の頃から映画に興味を持っていたそうです。
当時、映画というのは、もちろんビデオやDVDではなく、
映画館で見るのが当たり前の時代で、
 
『この一回しか見ることが出来ない。一期一会。』と思っていたそうです。
 
 
 
英語教育というのも今と違い、基本的に“読み、書き”がメインで今のような“聞く、話す”なんてことは無く、先生が20歳を過ぎるまでは、
実際の英語を話す人(ネイティブ)には会ったことがなく、
もちろん聞いたことも、話したことも無かったそうです。
 
 
 
現在の英語教育は、“話す、聞く”に偏重しすぎているため、
日本語の教育が英語教育に割かれるため、疎かになっていることを危惧されていました。
英語教育は、日本語教育の上になりたつもので、
先ず母国語をしっかりとマスターすることが最も大事だとも言われていました。
 
 
 
先生が現在のような翻訳家になるためには、
大変な苦労をなされたそうです。
 
 
先生が大学生の頃、毎日のように映画を見られていたそうです。
4年生になったある時、卒業が間近に迫り、就職を考えなければならなくなったときに、初めて、映画の字幕というものに気付き、それまで字幕というものを意識もしなかったのだけれども、その仕事をしたいと思われたそうです。
 
 
大好きな映画の仕事、しかも“字幕”というクリエイティブな世界に携わりたいという思いがあったそうです。
 
 
 
 
翻訳家という世界は、
 
『とても狭き門』ではなく、『高い塀』なのだそうです。
 
 
 
 
10人くらいの翻訳家がいるのだけれども、
実際に翻訳だけで生活できるのは、2人~3人くらいで、
あとの人は違うこともしていかなければ生活はできないそうです。
 
 
華やかに見えるのだけれども、実際はとても小さい世界だそうです。
 
 
“門”自体がなく、その10人の塀に囲まれた、
塀の中に行くためには穴を掘って下から潜入するか、
塀を乗り越えて中に入るかしかないのだと言われておりました。
 
 
 
先生のキャリアの殆どはフリーランスだそうですが、(会社勤めは1年程だそうです。)フリーランスというものは健康管理が大事なので、
体調を崩さないように、どんなに忙しくても徹夜をしないそうです。
 
 
 
翻訳家になるまでに20年を有したそうで、
最初の頃は、タイプ打ちなどの仕事をしていたそうです。
 
 
ある時、ある俳優が来日するということで、
タイプ打ちをしている先生が英語が出来るんではないかということで、
白羽の矢がたったそうです。
 
が、先生はこの時まで実際の英語を話したこともなく、
この記者会見が初めてネイティブの方とお話をするということになったそうです。
 
 
 
もちろん初めて会話をするということで、
バッチリ出来るわけは無く、全く出来なくて、
もうクビになるんじゃないかと思われたそうです。
 
 
でも、また通訳を頼まれたそうで、
そうやって通訳としてのキャリアを積んでいったそうです。
 
 
通訳としてある程度仕事がくるようになると、
コッポラ監督を通訳する機会に恵まれ、
何度かの通訳を通していつしか翻訳家になりたい、
というのがコッポラ監督に伝わったそうです。
 
 
 
翻訳家の世界では、
チャンスを与えて人の才能を伸ばすということは無く、
使えるか使えないかで判断されるそうです。
 
 
 
 
映画の翻訳の仕事がほとんど無い先生に仕事が舞い込むことは、
ほぼ皆無の状態のときに、通訳を通して知り合って仕事に懸ける情熱を買って頂いたコッポラ監督に、映画会社の口ぞえを通して仕事を頂いたそうです。
 
 
 
『地獄の黙示録』
 
 
あの有名な地獄の黙示録が翻訳家としてのほぼ初仕事だったそうです。
1979年のことです。
(私が3歳の時ですね。)
 
 
 
 
その仕事を通してほぼ翻訳家としてゼロの状態だった先生に、
仕事が舞い込むようになりました。
 
 
しかも、公開される映画のほとんど全てが依頼されるようになったんだとか。
 
ピーク時では、年間で50本の映画。
 
 
1年間が、52週ということを換算すると、1週間で1本の割合です。
 
 
私が観る映画のほとんどが戸田奈津子先生の翻訳という事を考えれば、おのずと納得できます。
 
 
今でこそ、仕事は年齢的なこともありゆったり余裕をもってやるようになったそうですが、当時は来るもの拒まずにやられていたそうです。
 
 
 
翻訳というのは、時間(公開日)との闘いで、
スクリプトを読まずに映画を観て、
映画に出てくる人物のキャラクターや特徴、話し方などを
頭の中で組み立て、2回目に観るときに、ダッーと翻訳をしていくそうです。
 
 
 
翻訳には、分業というのはありえなく、
一人の人間が1本の映画を作り上げるのだそうです。
 
パートごとに分割してやると、どこかにちぐはぐな部分が出て来たりするのだそうです。
 
 
戸田先生ほど売れっ子の翻訳家でも、
助手はいなくて全て一人で翻訳するのだとか。
 
 
 
 
翻訳や通訳の仕事を通して、たくさんの方に出会い、
今まだ勉強や気付きを得ることが多くあるとの事。
 
 
 
 
プロフェッショナルとしての自覚や、
仕事に対する姿勢、取り組み方など、
ご講演を通してたくさんのことを教えて頂けました。
 
 
 
 
第一線で活躍される先生の言葉には、
誇りと自信に溢れ一言一言に含蓄があります。
 
 
 
フリーランスとしての先生の仕事に懸ける情熱は、
経営者としてのあるべき姿勢と相通じる部分があるのではないでしょうか。
 
 
 
私も、私が思い描くあるべき経営者像を目指して、
もっともっと努力していかなければなりません。
 
 
 
 
より高みを目指して
昨日よりも今日はそれ以上、
今日よりも明日はそれ以上、と頑張ります!!
 
 
 
 
 

投稿者 中村 憲広 : 23:01 | コメント (2) | トラックバック